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万里小路通房 : ウィキペディア日本語版
万里小路通房

万里小路 通房(までのこうじ みちふさ、1848年6月27日(嘉永元年5月27日)- 1932年昭和7年)3月4日〔『明治維新人名辞典』940頁。〕)は、幕末公家、明治期の官僚政治家貴族院伯爵議員
==経歴==
山城国京都で、万里小路博房の息子として生まれる〔。母は森長義の11女・貞子〔『平成新修旧華族家系大成』下巻、658-659頁。〕。嘉永3年2月1850年)に叙爵し、慶応元年10月1865年右少弁に就任〔。
慶応3年12月9日1868年1月3日)王政復古を迎え書記御用掛となる〔。慶応4年2月20日(1868年3月13日)参与軍防事務局親兵掛に就任〔『百官履歴 上巻』376-377頁。〕。同年4月、東下する三条実美に随行し、同月権右中弁となる〔。戊辰戦争に際し錦旗奉行加勢、鎮将府弁事、御旗監・参謀助勤、兼大総督府参謀などを務め、東北に出征した〔〔。その後、軍務官副知事助勤を務め、明治2年2月1869年)勅使として山口毛利敬親に召命の宸翰を伝達した〔。明治2年6月2日(7月10日)戊辰の戦功により賞典禄100石を永世下賜された〔。
明治3年11月1870年イギリスへ留学し、1874年7月に帰国〔〔『明治時代史大辞典 第三巻』496頁。〕。その後、工部省御用掛、宮内省御用掛、侍従を歴任〔。父・博房の死去により、1884年4月14日、家督を相続〔。同年7月7日、伯爵を叙爵〔『官報』第307号、明治17年7月8日。〕。1891年2月、貴族院伯爵議員に選出され、研究会に属し1924年9月まで在任した〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』30頁。〕。
長く滞在していた千葉県安房郡北条町(現館山市)で農業指導も行った〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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