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三ッ寺I遺跡 : ウィキペディア日本語版
三ツ寺遺跡[みつでらいせき]

三ツ寺遺跡(みつでらいせき)は、群馬県高崎市にある古墳時代後期の豪族居館遺跡。
榛名山の南麓、猿府川の沖積地にある。1981年から83年にかけて、上越新幹線の建設に伴って発掘調査が実施された。その結果、居館跡は内側に1mの盛土が施された1辺が86mの方形で西辺2か所と南辺1か所に張出部を伴い、周囲を幅30-40m、深さ約3-4mの濠を巡らせ、更に濠の内縁には石垣が築かれていたことが判明した。
敷地の内側には濠に沿って三重の柵列があり、更に別の柵で南北に二分されている。南地区の西寄りには13.6m×14.1mの主殿とみられる掘立柱建物の遺構や濠から木樋で水を引いた祭祀施設の跡が見られる。これに対して北地区では複数の竪穴式住居の跡が発掘されており、南側を宮殿もしくは公的空間、北側を内廷もしくは私的空間であったとする説もある。また、一定の防御施設が整えられており、北西部の張出部に架かっていた橋を用いて出入りしていたとみられている。
付近には古代上毛野の有力者が葬られたと推定されている保渡田古墳群があり、この遺跡も同様の居館施設であったとみられている。
== 参考文献 ==
*梅沢重昭「三ツ寺遺跡」(『日本史大事典 6』(平凡社、1994年) ISBN 978-4-582-13106-2)
*犬木努「三ツ寺遺跡」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9)
*橋本博文「三ツ寺遺跡」(『日本歴史大事典 3』(小学館、2001年) ISBN 978-4-095-23003-0)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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