翻訳と辞書
Words near each other
・ 三ツ矢憲生
・ 三ツ矢歌子
・ 三ツ矢自動車学校
・ 三ツ矢製菓
・ 三ツ矢雄二
・ 三ツ知
・ 三ツ石
・ 三ツ石山
・ 三ツ石山 (鳴門市)
・ 三ツ石駅
三ツ者
・ 三ツ葉
・ 三ツ藤
・ 三ツ谷バイパス
・ 三ツ間卓也
・ 三ツ雪柚菜
・ 三ツ首コンドル
・ 三ツ鱗
・ 三ツ鱗 (四股名)
・ 三ツ鱗塚五郎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

三ツ者 : ウィキペディア日本語版
三ツ者[みつもの]
三ツ者みつもの)は日本の戦国時代大名武田信玄が組織した隠密集団。情報収集を得意とし、この集団を巧みに操り、全国に広域な情報網を張り巡らせた信玄は「足長坊主」と渾名された。松平家忠日記では、武田側のかまり、となっており。忍び斥候は、かまりと呼ぶことが多い。
== 概要 ==
三ツ者は間見、見方、目付の三職に携わる者の総称で、僧侶商人など様々に扮装して諸国で情報収集を行い、多くの情報を齎した。収集分野は多岐に渡り、他国の内情や家臣の動向、保有兵力などをはじめ、城主の能力や趣味嗜好、城や砦の造りなどであった。狼煙を主な通信手段として新鮮な情報が逐一、信玄の元へ届けられたという。信玄はこれらの収集した情報を分析し、調略に用いる事で自国に有利な合戦を繰り広げ、常勝軍団を築き上げた。三ツ者が収集した情報を使用した調略の様子については『甲陽軍鑑』などを紐解けば詳しく記されている。
1548年上田原の戦いに敗れた信玄は三ツ者の諜報能力強化を図るため、地方より様々な職能を持つ者を三ツ者へ取り込んでいき、最盛期には200人を超える大規模な集団へと発展した。浅間神社に仕えた富士御師などもそのひとつである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三ツ者」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.