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三上千代[みかみ ちよ] 三上 千代(みかみ ちよ、1891年 - 1978年7月18日) は、ハンセン病患者に尽くした看護婦で、ナイチンゲール記章を受章した。コンウォール・リーを助け、バルナバ医院、その後は鈴蘭病院、鈴蘭園、また宮城県の施設や全生病院、終戦前後は空襲を受けた国頭愛楽園(国立療養所沖縄愛楽園)、その後国立療養所多磨全生園で勤務した。 ==略歴== 1891:山形県山形市旅籠町371番地に旧新庄藩士の娘として出生。1903:山形高等女学校入学。1905:同学中途退学。1908:聖書学院入学、初めてらい患者をみる。1910:聖書学院卒業。東洋福音教会の伝道員。らい患者への奉仕を決意する。1912:三井慈善病院看護婦講習所に入所。1915:看護婦試験合格。1916:全生病院看護婦(らい病院)。1917:同退職。バルナバ教会愛の家庭舎監。聖バルナバ医院看護婦を務める。1924:同退職。鈴蘭病院開設。共同経営者の服部けさが死亡。1925:光田健輔の示唆で産婆試験合格。1926:光田健輔の援助により草津町滝尻原に鈴蘭園開設。(年度末の統計で最大22名収容)1931:宮城県に未感染児童保育所開設(第2鈴蘭園、2年で終わる)。1933:同廃止。全生病院看護婦。1938:沖縄国頭愛楽園看護婦長に就任。戦争で苦労する。1947:全生病院看護婦となる。1951:婦長。1954:全生病院退任。 1957:ナイチンゲール記章受章。1957:黄綬褒章受章。1965:勲四等瑞宝章受章。1978年7月18日:死去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三上千代」の詳細全文を読む
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