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三井環事件(みついたまきじけん)とは元大阪高等検察庁公安部長の三井環をめぐる事件。 == 概要 == 2002年4月22日に暴力団組長の親族名義で、競売された神戸市のマンションを落札したが、居住の実態がないのに登録免許税を軽減させたとして〔「三井容疑者、暴力団との派手な交際が命取りに」ZAKZAK(夕刊フジ)2002年4月22日 〕〔三井環(2002年5月13日)日本の司法界の腐敗構造、検察庁、裁判所によるでっち上げ冤罪事件 - 日本に正義はありません 〕、大阪高等検察庁公安部長の三井環が詐欺罪容疑で逮捕された。その後、暴力団に絡む収賄罪や公務員職権濫用罪で起訴され、5月10日に懲戒免職となった。 一方で、三井環が検察の裏金問題を告発しようとしていたことから、三井及び三井の支援者からは検察による口封じであると批判して冤罪を主張した。また、起訴された罪は過去に一度も立件されたことがないような微罪だったり、収賄も従来の事件と比較して著しく低額なものであった。 裁判で三井は検察席にいるかつての後輩にあたる検事たちを前に、暴力団関係者との交際については検察官として倫理上の問題があったことは認めたものの「風が吹けば飛ぶようなもの」として犯罪性がないとして無罪を主張する一方で、自身が告発した検察の裏金問題について「検察の裏金を告発しようとした自分の発言を封じるために逮捕、立件した」と検察を捜査手法を批判し、「どうして私が被告席にいるのか! 被告人席にいるべきは多額の裏金を捻出した検察首脳らだ! どちらが正義なのか! どちらが犯罪者なのか! どちらが卑劣な人間なのか、よく考えていただきたい!」と検察の裏金問題の悪質性を強調した。 検察は論告で三井に対して「検察幹部による暴力団との交際によって、暴力団組員が検察庁を堂々と訪問するまでに至った」「検事が職責を売った前代未聞の極めて悪質な犯行」「逮捕などされないという特権意識を持っていた」と指弾し、懲役3年追徴金約28万円を求刑。一方で三井と弁護側は終始無罪を主張しながら検察を批判した。2005年2月1日、大阪地方裁判所(宮崎英一裁判長)は三井に対して収賄の一部を無罪としながらも、電磁的公正証書原本不実記録・詐欺罪や収賄罪や公務員職権濫用罪で有罪を認定し、懲役1年8ヶ月追徴金約22万円の実刑判決を下した。賄賂額が多額とはいえないこと、暴力団関係者と飲食を共にしたことを検察官倫理上問題があったと自認していること、事件が大きく報道されて懲戒免職処分となり一定の社会的制裁を受けたこと、長年にわたって検察官としての職責を果たしてきたことなどが情状として認められた。しかし、大阪高検公安部長という検察幹部の地位にありながら職務に関連して自己の責任の重さを自覚することなく暴力団関係者との交遊関係を背景にした悪質な犯行に及び、検察官と刑事司法への社会の信頼を大きく損なわれ、発覚後も十分な反省がないことが実刑判決の理由となった。 一方で判決文は「検察の裏金問題については社会的に重大な問題であり、検察幹部として自ら関与したという被告の供述は軽視できないものであって、その問題の糾明が必要なことは明らか」とした。また、判決前にほぼ同じ判決文が政界に流布、河村たかし衆議院議員(後に名古屋市長)が入手し告発する事件が起こっている〔『公判前に判決文が流出』日刊ゲンダイ2005年1月29日 〕。三井は控訴するも、判決言い渡しから4か月が経過しても、判決の全文が出て来ず、控訴趣意書を書けない異常事態になっていた。 2007年1月15日、大阪高等裁判所(若原正樹裁判長)は控訴を棄却〔元大阪高検公安部長の三井環被告 2審も実刑 大阪高裁控訴棄却 〕、地裁の実刑判決を支持した。なお、判決理由では「被告が体験した限度で不正流用があったと言わざるを得ない」と検察の裏金問題を一部認定した。 三井は上告するも、2008年8月29日最高裁(中川了滋裁判長)上告棄却決定し、懲役1年8ヶ月追徴金約22万円の実刑判決が確定した〔検察庁が裏金作り遊興費に使ってたことを内部告発した三井環・元高検部長を国策逮捕 〕。検察官が現職時代の収賄行為で有罪判決になったのは初めて。 一方で、贈賄側の暴力団組員も贈賄罪で立件され、懲役5ヶ月の実刑が確定した。詐欺の共犯である暴力団組員は「主導的役割の三井に従属しただけ」として起訴猶予となった(釈放された暴力団組員は2002年11月に東京駅前で発砲して暴力団幹部ら2人を殺傷したとして懲役20年判決を受けた)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三井環事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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