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三代澤 康司(みよさわ やすし、1960年4月14日 - )は、朝日放送(ABC)ゼネラルアナウンサー。奈良県生駒郡三郷町在住。愛称は「みよちゃん」。 == 略歴 == 大阪府枚方市生まれ、3歳から12歳まで大阪府羽曳野市に在住。中学入学時に奈良県生駒郡平群町に引越す。 朝日放送の公式サイト内の本人のプロフィールでは奈良県出身としている。奈良県立奈良高等学校、大阪市立大学商学部を卒業。大学在学中は落語研究会の一員として、「市大亭黄恋児」(しだいていおれんじ)の芸名で活動していた。 1984年に朝日放送へアナウンサーとして入社。同期入社組に、板井昭浩(元・プロデューサー、現・総合 ビジネス局イベント事業部長)や松原宏樹(元アナウンサー)がいる。 朝日放送への入社2年目に、ABCテレビで当時夕方に生放送されていた帯番組『YOUごはんまだ?』の木曜日と、土曜日の音楽番組『ABCヤングプラザ』へレギュラー出演。1988年より早朝の生放送番組『おはよう朝日です・土曜日です』(現・『おはよう朝日・土曜日です』)の司会を担当。プライベートでは1988年、『おはよう朝日です』のアシスタントを務めた辰巳理香と結婚。 1994年から2004年まで、平日夕方の情報番組『ワイドABCDE〜す』(後に『ワイドABCで〜す みよ缶』→『わいど!ABC』)の総合司会を10年務めた。この間、テレビの生出演と並行して、平日昼間のラジオの生放送(こころ晴天→スラスラ水曜日)にも週1日掛け持ちで出演していた。 2004年10月より、土曜日早朝のラジオの生ワイド番組『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』(略称『ドキハキ』)を担当。以降、ラジオパーソナリティの活動が中心となっている。『ドキハキ』は2006年10月より、平日朝の帯番組へと放送時間が変更された。 2006年7月~9月には道上洋三の入院と療養を受けて、ABCラジオ『おはようパーソナリティ道上洋三です』でパーソナリティ代理(月曜日~木曜日)を担当した。 2009年頃からは、バラエティ番組『ごきげん!ブランニュ』(略称『ごきブラ』)にたびたび登場し、「ごきブラ特命係長」の肩書で身体を張ったロケ(総距離約80kmの鯖街道踏破挑戦企画など)にしばしば参加。2010年6月27日には、マラソン未経験だったにもかかわらず、『ごきブラ』の企画でサロマ湖100キロウルトラマラソンに挑戦する羽目になった(60km地点で制限時間を約3分経過したためリタイア)。 2014年には、『ドキハキ』の放送中にたびたび咳き込んだり、体調不良を訴えて同番組を休演したりすることが相次いだ。同年6月27日放送分の『ドキハキ』では、髄膜炎の治療で2週間程度入院することを公表。7月15日まで入院および自宅療養をおこない、同番組の生放送や、イベントへの出演を見合わせていた。 趣味は落語。プロの噺家に混じって、自ら「ちりとてちん」や「崇徳院」を高座にかけたことがある。また落語の趣味・知識を活かし、落語会の司会や、落語家との対談番組・座談会に登場することも多い。2013年10月からは、ABCラジオの演芸アーカイブ番組『ラジオわろうてい』で「席亭」(進行役)を務めている。また伊藤史隆(神戸大学落語研究会出身)などと交代で、関西の演芸専門フリーペーパー「よせぴっ。」にリレーコラムを執筆している。また中国語学習も趣味としている。 森たけし(読売テレビ)・柏木宏之(毎日放送)や上泉雄一(毎日放送)原田年晴(ラジオ大阪)など、在阪他局に在籍する同年代のアナウンサーと盛んに交流。お互いの出演番組で、交流の模様を語ることも多い。フリーアナウンサーの山本浩之とも関西テレビのアナウンサー時代から親しく、2013年6月1日には、大阪市淀川区のシアターセブンで、山本のフリーアナウンサー転身を記念した有料のトークイベント「三代澤康司 × 山本浩之 × 森たけしLIVE『二ヶ月贈(おく)れの卒業式』」を開催した。 また山田雅人や桂む雀とも親交があり、『ドキハキ』ではしばしば山田がゲスト出演したり、病に倒れてリハビリ中のむ雀の近況を伝えるなどしている。 大学時代からライブを追いかけるほど、シンガーソングライター・南こうせつのファン。朝日放送への入社後は、『わいど!ABC』のオープニング・テーマ(後に『ドキハキ』のエンディング・テーマ)として楽曲「LOVE&PEACE」を提供されるほど、南との交流を深めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三代澤康司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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