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旭琉會(きょくりゅうかい)は、日本の沖縄県に本部を置く暴力団。指定暴力団。沖縄市内に本部を置き、構成員は2013年末の時点で約520人。 1970年に結成された「沖縄連合旭琉会」が、抗争を経て1990年から「旭琉会」と「沖縄旭琉会」に分裂。その分裂に際しての抗争は無辜の市民を巻き込み、暴力団対策法施行の一因ともなった。それから20年余にわたってそれぞれ対立しながら並立していたものの、2011年、「沖縄旭琉会」が「旭琉会」を吸収合併する形で一本化、「旭琉會」として再発足した。 沖縄県内唯一の指定暴力団で、2012年以後は沖縄県内唯一の組織暴力団となっている。 ==来歴== ===起源と黎明=== そもそも沖縄における暴力団はいわゆる伝統的な「ヤクザ」ではなく、第二次世界大戦後に出現した土着の無法集団を起源としている〔『沖縄県内暴力団の概要 』 2014年 沖縄県警察〕。終戦後の混乱期から復興の兆しが現れ始めた1952年頃に不良者らなどが集団化し始めた〔。それらの代表的なものが那覇市を拠点とした「那覇派」とのちの沖縄市域を拠点とした「コザ派」(「山原派」とも)で、幾度にもわたり対立抗争を繰り返していたこれら2党が、沖縄の本土復帰を目前に控え、日本本土の暴力団の島内進出を阻む意図から、大同団結を図ったうえで1970年の暮れに「沖縄連合旭琉会」を結成〔。「第1次沖縄抗争」(1961年)、「第2次沖縄抗争」(1964年)、そして「第3次沖縄抗争」(1966年)と、そこに至るまで三次にわたる大規模な抗争を経ていたものの、「山原派」の首領を担った仲本善忠の主導によって正式発足、これが旭琉會の幕開けであった〔『実話時報 2012年2月号』 : “「旭琉會」誕生” 2012年1月14日 竹書房〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「旭琉會」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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