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三十三間堂官衙遺跡 : ウィキペディア日本語版
三十三間堂官衙遺跡[さんじゅうさんげんどうかんがいせき]
三十三間堂官衙遺跡(さんじゅうさんげんどうかんがいせき)とは、宮城県亘理郡亘理町にある平安時代の郡衙を中心とする遺跡1992年(平成4年)に国の史跡に指定された。
== 概要 ==
亘理町は宮城県の南部、阿武隈川太平洋に注ぐ河口に位置し後背は阿武隈高地の北端で、市街地の大部分は、沖積平野上にある。同町下郡椿山(しもごおりつばきやま)地区の亘理地塁の丘陵に古くから礎石の建物跡存在が知られていた(安永8年『風土記御用書出』に初見)。当地の伝説では、左甚五郎がこの地に来て一夜にして建てる、と工事にとりかかったが天邪鬼が、一番鳥の鳴く前に鶏鳴をまねて鳴いたので礎石を置いただけで工事は止めたという。礎石群は10箇所以上に渉り、郡(こおり)という地名と規模の大きさから郡衙跡と推定され、奥州藤原氏の始祖・藤原経清居城地としての関連が有力視され指定となった。
遺跡の研究・調査は戦前には始まっており、戦後は伊藤玄三ら(1967年)、宮城県教育委員会(1986〜1988年)、亘理町(2002年以降)により行われてきた。以前は寺院跡と考えられていたが、一連の調査から9世紀前半から10世紀前半にかけて存在した陸奥国亘理郡衙の施設であることが明らかになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三十三間堂官衙遺跡」の詳細全文を読む



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