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三升家 勝太郎(みますや かつたろう)は、落語家の名。 *三升屋 勝太郎 - 1852年の番付に確認できる、それ以外不明。 *三升亭 勝太郎(1875年12月15日 - ?) - 『名前揃』を見ると、1895年に4代目三升亭小勝の門下?で勝之助から三升亭勝太郎で届けが出ている。それ以外不明。本名、嶋崎 慎太郎。 *三升亭 勝太郎(1910年(逆算) - 1966年5月16日) - 5代目三升家小勝の実の子。大正10年代に父の元で三升家勝弥、1926年10月に勝太郎で二つ目、1929年、30年頃まで顔付に見えるが以降不明、その後舞踊に転じ花柳吉次郎を名乗る。没・享年は斉藤忠市郎の調査で判明しそこから逆算。本名、加藤 清。 *三升家 勝太郎 - 本項にて詳述。 ---- 三升家 勝太郎 (1905年12月25日 - 1989年10月25日)は、落語家。本名は田崎操。出囃子は『米洗い』。 *東京駒込の生まれ、父は新内節の鶴賀嶋太夫。 *1921年 - 6代目立川談志に入門し、談七を名乗る。 *関東大震災後8代目桂文治門下で桂かん治、朝鮮から満州などを巡業。 *1927年、8年頃 - 二つ目昇進し、談好に改名。 *1939年10月 - 5代目三升家小勝門下に移籍し、三升家勝太郎に改名し真打昇進。 *第二次世界大戦中、落語家の仕事が減り漫談での兼業で高座に出る。 *1952年10月 - 5代目柳亭左楽門下に移籍し柳亭左升に改名し、日本芸術協会(現:落語芸術協会)に加入。 *1956年3月 - 師匠左楽没後、左楽の孫弟子6代目三升家小勝門下に移籍し、三升家勝太郎に復名し落語協会に加入。 出世欲がまったくなくさっぱりとした性格があだとなり結局売れなかった。 == 出典 == *古今東西噺家紳士録 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三升家勝太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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