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三原 紹心(みはら じょうしん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。紹心は法名。高橋紹運の家臣。本郷城(三原城)主。 == 経歴 == 三原氏は筑後十五城の一角に数えられる筑後国の国人。大蔵氏族高橋氏の別流で高祖山城の原田氏と同族である。 天正14年(1586年)、薩摩国の島津氏の北伐(豊薩合戦)では、主君高橋紹運や子・清右衛門尉宗休と共に岩屋城へ籠城(岩屋城の戦い)し、戦死した。 「行年九十有餘」と「柳河藩享保八年藩士系図・上」の三原伊兵衛系図にある。この戦いで子の宗休も戦死を遂げた。 孫の三原清右衛門は生存し紹運の子の立花直次に仕える。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三原紹心」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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