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三号爆弾(さんごうばくだん)とは、大日本帝国海軍で開発・使用された親子爆弾(クラスター爆弾)の一種。 == 概要 == 空対空兵器としてとらえられることが多いが、開発当初の目的は飛行場破壊用のクラスター爆弾であった。戦況の悪化と重爆撃機に対する迎撃の必要性から対空任務へと転用された〔兵頭二十八『日本海軍の爆弾』145頁-146頁〕。 この爆弾は、一つの親爆弾の内部に多数の弾子と呼ばれる子爆弾を内蔵しており、弾底に炸薬と遅延信管を装着していた。投下すると所定の秒時後に信管が作動、爆弾内部の炸薬が爆発して弾子を射出する。弾子の速度は150m/sから300m/sに達した。散開角度は100度から60度の円錐状である。この角度のことを日本海軍では束藁角と称した。投下後、弾子は数十秒燃焼しつつ飛散し、対象に命中すると焼夷効果を発揮する。主剤には多硫化合成ゴムを混合したテルミット、または黄燐を用いた〔兵頭二十八『日本海軍の爆弾』146頁、150頁〕。子爆弾が燃えながら飛散する時、放射状に白煙を曳く様を見て、戦闘機搭乗員は「タコ」「タコ爆弾」と呼称した。 親爆弾の重量は約30kgから250kgである。主として戦闘機の翼下に懸吊する形で装備された他、飛行場攻撃や舟艇攻撃にも用いられた。半径 100 m、高さ 50 m - 70 m の円柱状範囲内で有効であったといわれる。タ弾と同じように敵の上方1,000m程度より未来位置を予測して投下するという方法であったが、近接信管を開発できなかった日本では時限信管を用いていたため、有効な位置に投下することが難しいものであった。 日本海軍のトップ・エースの一人である岩本徹三はこの兵器の扱いに優れ、彼が指揮したラバウルやトラック島付近での邀撃戦で多くの戦果を挙げたとされるが、これは彼の高い技量がもたらした例外的な事例だった。 また同様の効果と作動原理をもつ対空兵器として戦艦等の主砲より発射する三式弾が存在する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三号爆弾」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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