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三土忠造 : ウィキペディア日本語版
三土忠造[みつち ちゅうぞう]

三土 忠造(みつち ちゅうぞう、1871年8月11日明治4年6月25日) - 1948年昭和23年)4月1日)は、明治から昭和にかけての日本政治家
== 来歴・人物 ==
香川県大内郡水主村(現在の東かがわ市)出身。
長年立憲政友会衆議院議員として党内にて重きをなし、内閣書記官長を振り出しに文部大臣大蔵大臣逓信大臣鉄道大臣枢密顧問官内務大臣(一時運輸大臣も兼務)を歴任した戦前政界の重鎮である。
出生時以来の姓は宮脇であったが、1895年(明治28年)に三土(「みつち」、みと・みど等は誤り)家に婿養子として入ったために三土姓を名乗った。この婿入りにともない本籍地が香川県阿野郡西庄村(現在の坂出市内)に移ったため、衆議院議員選挙では故郷を含む香川一区ではなく、香川二区から立候補していた〔一区からは実弟の宮脇長吉が立候補した。長吉の息子宮脇俊三の『私の途中下車人生』によれば、忠造は長吉に「じゃあ、お前は第一区から出ろ」と言ったという。〕。
香川県観音寺市の、日本で唯一の石積みアーチ式ダム豊稔池の名付け親である。また、1912年に制定された「高松市歌(その一)」の作詞者でもある〔広報たかまつ2009年12月号 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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