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唐代三夷教(とうだいさんいきょう)とは中国の唐の時代において、一時唐王朝によって保護され、隆盛した西方起源の3つの宗教である。 == 概要 == 「唐代三夷教」とは、 *キリスト教ネストリウス派(景教) *ゾロアスター教(祆教) *マニ教(明教) の3宗教を指している。 このうちゾロアスター教が南北朝時代にまず中国に伝わり、ついで唐代に入りネストリウス派キリスト教とマニ教が伝わる。いずれも、当時「西域」と呼ばれた地域を経由しての伝播であったが、唐の2代皇帝太宗は西域支配に乗り出し、640年(貞観14年)には高昌国を滅ぼして、そこに安西大都護府を置いた。この3宗教は、盛唐(8世紀初頭)の頃には玄宗による開明的な国家運営の下、首都長安においてそれぞれに隆盛期を迎え、史上「唐代三夷教」と呼称されることになる。当時、人口約100万を誇った長安は異国情緒あふれる国際都市で、市街ではインド人の幻術師やペルシア系の踊り子、歌手、楽士、酌婦、給仕などをみかけることも少なくなく、後宮ではポロが人気を博し、貴婦人のあいだでは乗馬が流行した〔塚本(1974)pp.371-386〕。そうしたなかで、「三夷教」にも広く門戸が開かれていたのである。 しかし、3宗教とも、9世紀後半に武宗が行った会昌の廃仏において仏教とともに弾圧を受け、それ以降は中国史の表舞台からは姿を消した。ただし、その影響は様々なかたちで後世に残り、特にマニ教は明・清代に至るまで、社会のなかで隠然たる影響力を持ったとされる。以下において、中国史の中におけるそれぞれの歩みについて概説する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「唐代三夷教」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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