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三好房一[みよし ふさかず] 三好 房一(みよし ふさかず、天文23年(1554年) - 慶長19年7月12日(1614年8月17日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。通称は新右衛門。丹後守。従五位下。祖父は摂津尼崎椋橋城主の三好長直(伊賀守)、父は三好長房(備中守)。 三好康長、織田信長に属し、豊臣秀吉に仕えてからは馬廻衆となり、赤母衣衆(『太閤記』)や黄母衣衆を務めた(『武家事紀』)。一時、豊臣秀次の家臣となったが、秀次が自害すると再び秀吉の直臣となる。文禄・慶長の役では肥前名護屋に出陣した。 秀吉死後は徳川家康に仕え、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで東軍に属し(この当時、1万石の知行を有していた『廃絶録』)、その功績で河内国に2300石の知行地を加増され、御相伴衆となった。慶長10年(1605年)に徳川秀忠が参内した際には、これに供奉。 慶長19年(1614年)駿府において死去。 == 関連項目 ==
*三好氏
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