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三宅雪嶺 : ウィキペディア日本語版
三宅雪嶺[みやけ せつれい]

三宅 雪嶺(みやけ せつれい、1860年7月7日万延元年5月19日) - 1945年昭和20年)11月26日)は、日本哲学者評論家加賀国金沢(現・石川県金沢市)生まれ。本名は雄二郎。
== 人物 ==
三宅花圃(みやけかほ、旧姓:田辺)は樋口一葉と同門だった小説家歌人衆議院議員中野正剛娘婿
加賀藩家老本多家の儒医・三宅恒の子として生まれる。官立東京開成学校を経て、東京大学文学部哲学科(のち帝国大学文科大学)卒。
後藤象二郎大同団結運動条約改正反対運動など自由民権運動に関わる。1888年明治21年)、志賀重昂杉浦重剛らと政教社を設立し、国粋主義の立場を主張する為、『日本人』を創刊する(後に『日本及日本人』に改題)。その後も、個人雑誌として『我観』を創刊、『中央公論』等に論説を発表するなどして注目を集めた。
林内閣において文部大臣への入閣の要請があったものの辞退している。1937年(昭和12年)、帝国芸術院会員、1943年(昭和18年)、文化勲章受章。主著は『真善美日本人』『偽悪醜日本人』(冨山房百科文庫で再刊)『自伝』(人間の記録・日本図書センターで再刊)『宇宙』等。『ジャパン・レビュー』への寄稿もある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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