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三室戸 和光(みむろど まさみつ、天保13年11月9日(1842年12月10日) - 大正11年(1922年)5月)は、江戸時代末期の公卿。三室戸家七代目三室戸陳光の嫡男、明治になり子爵、従二位、伊勢神宮大宮司。正室は武者小路公香の長女・唯子、継室は鷲尾隆聚の四女・房。子に鷲尾光遍(真言宗山階派管長)、土御門晴善(農学者)、受子(松浦治夫人)らがいる。 継嗣となるはずだった六代三室戸雄光の子治光が平安神宮の宮司となる。各地の石碑に揮毫が残っている。 三室戸家は藤原北家真夏流日野家柳原庶流とされ、初め北小路を称したが寛文5年(1665年)、願いにより三室戸を家名とした。また「和光」の読みを「かずみつ」と読むのは誤記。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三室戸和光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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