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三室戸家 : ウィキペディア日本語版
三室戸家[みむろどけ]

三室戸家(みむろどけ、「みむろと」の読みは誤記)は、名家の家格を有する公家藤原北家藤原真夏日野流柳原庶流。家業は文学華道(竹真流)。江戸時代の家禄は130石。家紋は鶴丸(但し先端の羽根は本家同様3本)。明治維新後、雄光子爵に叙せられた。
柳原資行の三男誠光(ともみつ)を祖として江戸時代前期に創設された。当初は北小路と称したが、寛文5年(1665年)7月、願いにより三室戸と改めた。誠光の兄の柳原資廉霊元天皇の従兄弟にあたり、武家伝奏をつとめて幕府との交渉に活躍し、特に播磨赤穂藩主・浅野長矩が饗応役を務めた際に起こった刃傷事件(赤穂事件)の時に江戸城に下向していた。
歴代は多く三位、非参議であったが、光村参議に、能光権大納言に昇進した。
江戸期までは華道竹真流家元を称していたが、敬光により三重県桑名市にある寺に家元を譲っている。和光大正期伊勢神宮大宮司となり、雄光の実子治光平安神宮宮司となっている。
敬光昭和初期に貴族院議員(会派は研究会)に互選され、特に1935年昭和10年)に起こったいわゆる天皇機関説問題に際して、男爵菊池武夫議員とともに美濃部達吉を追及し辞職に追い込み、さらには国体明徴声明岡田啓介内閣に出させている。
また1934年(昭和9年)には、斎藤実内閣商工大臣であった中島久万吉が雑誌「現代」2月号に転載された足利尊氏と足利時代(室町時代)を再評価すべきという感想を述べたことに対して、菊池議員と共に中島大臣を攻撃し辞職させたことでも知られる。なお、敬光は昭和初期に東京高等音楽学院長(現・国立音楽大学)を務めている。戦後、公職追放とされた。
敬光の長男為光は、1938年(昭和13年)に東京高等音楽学院の大塚分教場を東邦音楽学校として(のちの東邦音楽大学東邦音楽短期大学)を独立・創設した。その後、東邦音楽大学に続き東邦音楽大学附属東邦中学校・高等学校も作られた。



==系図==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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