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三屋 裕子(みつや ゆうこ、1958年7月29日〔講演会・講師の講演依頼.com > 講師一覧をみる(芸能・スポーツ, バレーボール) > 三屋裕子 〕 - )は、日本バレーボール協会理事。元バレーボール全日本代表選手。福井県勝山市出身。筑波大学大学院体育学研究科修了。 株式会社サイファ代表取締役。株式会社テン・アローズ(旧シャルレ)前代表執行役社長、株式会社シャルレ(旧シャルレから分割設立)前代表取締役社長。筑波スポーツ科学研究所副所長。 == 来歴 == 中学からバレーボールを始め、八王子実践高校から筑波大学に進学する。1981年、日立女子バレーボール部に入部。ユニバーシアードに3度出場し、1979年には銀メダル獲得。日立、全日本代表の主軸選手として活躍し、1983年のアジア選手権で優勝。1984年、ロサンゼルスオリンピックで銅メダルを獲得した。 最高到達点308cmという高さを誇り、攻撃型のセンタープレイヤーとして活躍した。現役時代のニックネームは「サイ」(三ツ矢サイダーのサイからとったもの)。 引退後は、國學院高等学校の教師を経て、1985年から学習院大学助手、1987年に同大学講師に就任した。同大学バレー部の指導をする傍ら、全日本ジュニアチームのコーチを務めた。1990年、筑波スポーツ科学研究所主任研究員・非常勤講師に就任。1992年、筑波大学大学院に進学し、その後、筑波スポーツ科学研究所副所長に就任した。 2004年4月、女性下着の訪問販売会社シャルレ(現テン・アローズ)の社会貢献活動に参加していたことがきっかけで同社顧問となり、同年6月29日付で社長に就任。しかし業績悪化や経営方針の違いから創業家と対立、2007年6月27日、テン・アローズ(旧シャルレ)と子会社のシャルレ両社の株主総会にて、両社の社長職を解任される。この時、三屋は記者会見で「1980年のモスクワオリンピックで、ボイコットにより出場出来なかった時と同じような気分」と涙ながらに語った。 2006年、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)理事。2007年4月から日本バレーボール協会理事(2013年6月まで)。2013年4月には、同協会の女子育成強化委員会ディレクターに就任した〔 日本バレーボール協会 2013年4月24日付〕。2014年6月から日本バレーボール協会評議員。2015年5月、日本バスケットボール協会副会長に就任〔〕。2016年、日本バスケットボール協会会長に就任予定〔バレーの三屋裕子氏がバスケ新会長へ 川淵氏は定年 〕。また、スポーツコメンテーターとして、現在テレビ出演等で活躍している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三屋裕子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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