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三島村(みしまむら)は、薩摩半島南端から南南西約40kmの位置にあり、竹島・硫黄島(鬼界ヶ島)・黒島の有人島と、新硫黄島、デン島の無人島から成り立つ。 == 歴史 == 戦前まではトカラ列島の7島(現在の鹿児島郡十島村(としまむら))を含めた大島郡十島村(じっとうそん)であったが、北緯30度線(屋久島と口之島の間)以南は米軍の占領政策により日本の行政権及び司法権が停止された。村役場のあった中之島と切り離された為、残った3島で仮の十島村役場を鹿児島市に設立した。 1952年(昭和27年)2月10日に十島村の7島が日本に返還され、同日「鹿児島県告示第74号(大島郡十島村の境界) 」により、それまでの日本の施政下にあった大島郡十島村は、それまでの7島を含む境界から口之島を除く北緯30度以北に境界を変更され、同日施行の「鹿児島県告示第75号(大島郡十島村を三島村に変更する条例の許可)」によって村名を十島村から三島村に改称した。また、同日に「昭和27年政令第13号」の規定に基づき、本土復帰した7島の区域をもって十島村が設立された。 1973年(昭和48年)、大島郡から鹿児島郡に郡変更がなされ、現在に至る。 村役場が鹿児島市に置かれている理由としては、歴史的な理由だけでなく、行政機能の能率を上げる為による。いずれかの島に役場を置くより、県都であり生活圏である鹿児島市に置いていた方が、国や県との折衝がやりやすく、また住民にしても、各種申請が行いやすいという理由がある。また、交通手段を村営船のみに頼っている為、欠航等により鹿児島市に足止めされた場合でも、村役場の助けをもらえるという利点もある。ただし、役場職員のほとんどが村内に住所を持たないため、村長選や村議会選の選挙権が無く、また税が村に入らないなどの問題がある。 財政力指数は全市町村中で全国最下位である。 本土並みの行政サービスを受けられずに「選挙を通じて意思表示しなければ、切り捨てられてしまう」という過疎の離島の切実さから、公職選挙では寝たきりの高齢者を除くほぼ全員が投票することで高投票率であることが知られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三島村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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