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三島駅乗客転落事故(みしまえきじょうきゃくてんらくじこ)は、東海旅客鉄道(JR東海)東海道新幹線の三島駅で1995年(平成7年)12月27日に発生した、鉄道人身障害事故。東海道新幹線において、初めての旅客死亡事故となった。 == 事故の概要 == 東京発名古屋行き「こだま475号」(新幹線0系16両編成)はひかり号の追い抜きを待ち合わせるダイヤであったため、三島駅で午後6時31分に到着後3分間の停車をしていた。この停車時間に、実家に帰宅途中の神奈川県小田原市の男子高校生(当時17歳)がホームへ下車し、売店の公衆電話で通話していた〔なお、当時は携帯電話の大衆普及はない。列車内にはテレホンカード専用の列車公衆電話が設置されていたが、一般公衆電話とは料金が大幅に異なる。〕。 午後6時34分00秒、ホームの係員が発車予告ベルを鳴らしたため、高校生はあわてて7号車の自分の座席に戻ろうと6号車後部乗降口に、「駆け込んだ」が間に合わず、乗降口に掛けた指を閉じた扉に挟まれた。高校生は扉を開けてくれるように合図したが、駅係員、車掌はそれに気付かぬまま戸閉正常と認め、運転士は戸閉め知らせ灯の点灯により午後6時34分50秒(定刻から20秒遅れ)に列車を発車させた。そのため、高校生は指を挟まれたままホームを約90m伴走したのちに転倒、約160m引きずられた後でホーム端からホーム下の軌道敷に転落、車輪に頭部を轢かれ即死した。 本事故は、新幹線での列車運行過誤(運行者の責任)に起因した開業来1件目の旅客死亡事故となった〔もっとも、自殺企図等、線路内へ立ち入りや飛び込みにより死亡した事例を含まない。また、職員の触車死亡事故は、開業後まもなく起こっている。この他、1983年8月4日には、東北新幹線古川駅で、家族旅行中の小学生が下車したところ、他の家族は降りそこなったまま列車が発車したため、この小学生がホームから軌道に立ち入り、一ノ関駅方面(当時、くりこま高原駅は未開業)に約11km歩いたところで後続列車にはねられ死亡する事故が発生している(東北新幹線初の旅客死亡事故)。〕。新幹線の「開業来、列車運行過誤による死亡事故ゼロ」の記録は本事故直前までのものとなった。 なお、本事故以降も、新幹線は開業来「旅客の死亡事故ゼロ」と表現する者があるが、それは脱線、衝突、設備破損といった「車両や設備の故障」による事故のみを取り上げ、本事故を捨象したものである〔旅客が自殺企図もしくは自殺をして車内の非常用扉開放コックを操作した形跡のある以下のような事例も除外している。 * 2007年3月24日 東京発新大阪行きのぞみ155号が東海道新幹線牧の原トンネル(静岡県菊川市)内を走行中、乗客が非常用扉開放コックを操作して飛び降り。 * 2008年4月22日 新大阪発東京行きのぞみ150号が浜松-掛川間(静岡県磐田市)の天竜川付近を走行中、乗客が非常用扉開放ドアコックを操作して飛び降り。また、新幹線車内で旅客が自殺したり他の旅客を死亡させたりする行為についても除外している。 〕。また、そのような観念による「ゼロ」記録は、2016年2月現在も継続している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三島駅乗客転落事故」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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