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三府龍脈碑[さんぷりゅうみゃくひ]
三府龍脈碑(さんぷりゅうみゃくひ、三府竜脉碑)は、1750年(乾隆15年)、琉球王国の宰相蔡温によって名護(後の沖縄県名護市)に建てられた石碑である。石碑の形状が、地元で屋敷の正門と母屋との間に建てられる魔除けの塀「ヒンプン(屏風)」に似ていることから「ヒンプンシー(屏風石)」とも呼ばれる〔『三府龍脉碑の復元を記念して』 pp.8-19〕。碑文は表面に漢文、裏面に和文で書かれている。1991年(平成3年)1月16日に沖縄県の有形文化財(歴史資料)に指定された。 ==建立の経緯== 1750年頃の琉球王国は首里(中頭、島尻)と名護(国頭)との間に軋轢があり、首都を首里城から名護へ移すことと、名護湾から羽地内海へ抜ける運河を建設することについて議論があった。これに対して当時の宰相蔡温が自らの考えを風水思想に基づく文言にまとめ、石碑にして示すことで論争の封じ込めを計ったものと考えられている〔『名護碑文記 増補版』〕〔『三府龍脉碑の復元を記念して』 pp.7-8〕。 1749年(乾隆14年)3月21日に蔡温が言上し、同年夏に撰文し、翌1750年(乾隆15年)夏に碑が建立された。このため和文の年号は言上した乾隆14年となっている。創建当時は現在位置より数十メートル離れた場所にあったとされる〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三府龍脈碑」の詳細全文を読む
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