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三木 啓次郎(みき けいじろう、1877年(明治10年) - 1972年(昭和47年))は、旧水戸藩藩士。北辰一刀流免許皆伝。 徳川光圀が生まれる前、父である水戸徳川家初代徳川頼房は家臣の三木之次に光圀の堕胎を命じた。之次はその命に従わずに自邸(現在の水戸黄門神社)で光圀を産ませた。啓次郎はその之次の子孫。 1915年(大正4年)には北辰一刀流の千葉勝太郎著『剣法秘訣』という本を出している。 1918年(大正7年)、啓次郎は桜田門外の変でその後逃走し自刃した水戸浪士の霊を慰めるため、大阪四天王寺境内を訪れた。そこで二股ソケットを販売していた松下幸之助と出会った。経済的に困窮していた松下だが、話を聞いた啓次郎が水戸の田畑を抵当に幸之助を援助した。後に成功した幸之助は恩義に答えるため、松下電器を水戸黄門のスポンサーとし、浅草寺の雷門、四天王寺の極楽門、水戸の常磐神社境内にある三木神社などに寄進した〔「ニッポン人脈記 黄門は旅ゆく4 世直し幸之助のドラマ」 『朝日新聞』2009年11月13日付け夕刊、1面〕。 皇室とも縁が深く「木戸御免」であったという。 水戸妙雲寺に墓があり、墓碑には「松下幸之助顧問」と書かれている。 == 出典 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三木啓次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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