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三木 睦子(みき むつこ、1917年(大正6年)7月31日 - 2012年(平成24年)7月31日)は、日本の政治運動家、社会活動家。第66代内閣総理大臣三木武夫の妻で、三木事務所代表。 == 来歴・人物 == 千葉県出身。森コンツェルン総帥で昭和電工の創業者・森矗昶の二女。この父をはじめ、兄の森曉、弟の森清と森美秀、甥の森英介はいずれも衆議院議員に、また長女の高橋紀世子は参議院議員になっている政治家一族の出身である。また、姉は元昭和電工社長の安西正夫に嫁いでいる。 東京府立第一高等女学校(現東京都立白鴎高等学校)卒業。1940年(昭和15年)に三木武夫と結婚、以後三木が亡くなる1988年(昭和63年)まで48年にわたって夫の政治活動を支える。その頃から、保守傍流で自民党内では左よりだった夫よりも「家庭内左派であった」と語っている。 政治問題に対して積極的に発言している。スタンスは「リベラル」寄りで、北朝鮮との友好にも関心が強く、韓国の金大中大統領がノーベル平和賞を受賞した際は「金正日総書記も一緒に受賞して欲しかった」と発言するなど、親北朝鮮の進歩的文化人の1人。金日成と会った最後の日本人であるとされている。 また、2001年(平成13年)に北朝鮮から長年に渡る日朝友好親善への貢献により、 平壌の万寿台議事堂で親善勲章第一級を授与されている(日本人女性としては4人目)。南北統一を支援する「アジアの平和と女性の役割」シンポの呼びかけ人のほか、日朝国交促進国民協会副会長、「朝鮮の子どもにタマゴとバナナをおくる会」会長、従軍慰安婦たちへの国家賠償を求めるなど活動は多彩。日本国憲法の改定阻止を訴える「九条の会」、「憲法行脚の会」呼びかけ人の一人である。 全国発明婦人協会、アジア婦人友好会、国連婦人会の各会長、社団法人中央政策研究所理事、国際教育交流協会理事長など役職多数。 2012年7月31日、大腸腫瘍のため東京都内の病院で死去〔三木睦子さん死去=故三木武夫元首相夫人 時事通信 2012年8月3日閲覧〕。95歳没。生没同日であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三木睦子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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