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三村 仁司(みむら ひとし、HITOSHI MIMURA、1948年8月20日 - )は、日本の技術者。競技用シューズの職人として知られる人物である。 == 経歴・人物 == 1948年、兵庫県加古川市生まれ。中学時代から陸上部に所属し、陸上競技の強豪校への進学を目指す。兵庫県立飾磨工業高等学校時代には陸上部キャプテンを務め、長距離走選手としてインターハイなどで活躍。この頃から、長持ちするシューズはないかと考えるようになり、スポーツメーカーでの就職を志すようになった。 高校卒業後は大学からの誘いを断って1966年にオニツカ株式会社(現株式会社アシックス)に入社。成型係、仕上係、研究室を経て、1971年、入社当時から希望していた研究室に配属される。ゴムの配合やスポンジの配合など、素材単位での研究を進め、クッション性・摩耗性・軽量性などの問題とバランスを学んだ。 1974年には、たった一人で別注シューズの制作を開始。トップ戦略を打ち出し、オリンピックを目指す選手をフォローしていくことになる。陸上競技にとどまらず、野球、サッカー、テニス、バレーボール、バスケットボール、ボクシング、モータースポーツ、近代五種など多岐にわたるジャンルのシューズを手がける。 君原健二、瀬古利彦、谷口浩美、高橋尚子、有森裕子、野口みずき、イチロー、長谷川穂積、尾崎好美、小崎まり、青木宣親、内川聖一、香川真司、木﨑良子などトップアスリートのシューズ製作を担当。 2002年には、「金メダルシューズのつくり方」を出版。2004年、厚生労働省「現代の名工」の表彰を受け、2006年に黄綬褒章を受章した〔現代の名工、三村仁司氏が生み出すシューズ All About〕。 2009年、株式会社アシックスを定年退職し、兵庫県加古川市の敷地に600坪のシューズ作り工房「M.Lab(ミムラボ)」を設立。2010年1月には、アディダスジャパン株式会社と専属アドバイザー契約締結を発表し〔アディダスジャパン、靴作りのマイスター三村仁司氏と専属アドバイザー契約を締結 live door ニュース〕、M.Lab(ミムラボ)で制作されるすべての競技シューズをアディダス製品として開発することとなった。 現在は、自身のシューズ作り工房「M.Lab(ミムラボ)」代表取締役兼アディダスジャパン株式会社専属アドバイザーを務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三村仁司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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