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三村元親[みむら もとちか]
三村 元親(みむら もとちか、生年未詳 - 天正3年6月2日(1575年7月9日))は、安土桃山時代の大名。備中松山城主。 == 経歴 ==
=== 父の暗殺 === 父・家親は毛利氏を後ろ盾に備中国のほぼ全域及び備前国の一部を勢力下におさめ、備前・美作への勢力拡大を図っていたが、正攻法では叶わぬとみた宇喜多直家によって永禄9年(1566年)に遠藤秀清・俊通兄弟に暗殺されてしまう〔『備前軍記』など。ただ、詳細な年月日に関しては『桂岌円覚書』など古い文献には無く後世比定されたものであり、植木成行などは永禄8年(1565年)説を唱えている。〕。 家親の死後、長兄・元祐は既に備中庄氏の養子となっていたので次男である元親が三村氏の家督を相続し、宇喜多氏への復讐を狙い、永禄10年(1567年)に約2万の兵を率いて備前に進攻するも、わずか5千の宇喜多勢に大敗する(明禅寺合戦)〔『妙善寺合戦記』など〕。これがもとで佐井田城主・植木秀長が宇喜多方へ寝返る〔『備前軍記』など〕など備中における三村家の威光は衰えを見せたが、毛利氏の支援もあり、元親はこれを押しとどめることができた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三村元親」の詳細全文を読む
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