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三村恪一 : ウィキペディア日本語版
三村恪一[みむら かくいち]

三村 恪一(みむら かくいち、1931年8月16日〔『日本代表公式記録集2008』 日本サッカー協会、2008年、605頁。〕 - )は日本出身の元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはFB
==経歴==
第二次世界大戦後に都立第八中学校(東京都立小山台高等学校の前身)に編入しサッカーを始める。卒業後は中央大学に進学し、1953年には長沼健と共に日本学生選抜に選出され、ドイツドルトムントで開催された国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)に出場した。
大学卒業後は東邦チタニウムに入社し、同社にサッカー部を設立。選手兼指導者として選手強化や環境作りに奔走した。
日本代表としては、1955年1月の東南アジア遠征で代表デビュー。同月11日のビルマ(体協選抜)戦で国際Aマッチ出場を果たし(後の日本代表データの見直しで2日のビルマ(保険大臣チーム)戦が国際Aマッチと認められたため、現在はこの試合が国際Aマッチデビュー戦)、同年11月のメルボルンオリンピック代表メンバーに選出された。
現役引退後は東邦チタニウムサッカー部の監督として、関東サッカーリーグ優勝4回、1983年に日本サッカーリーグ2部昇格に導いた。その後は日本サッカー協会技術委員、指導委員などを務め、現在は海上自衛隊厚木基地マーカスのコーチを務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三村恪一」の詳細全文を読む



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