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三条季晴 : ウィキペディア日本語版
三条季晴[さんじょう すえはる]
三条 季晴(さんじょう すえはる、享保18年10月22日1733年11月28日) - 天明元年11月28日1782年1月11日))は、江戸時代中期の公卿桜町天皇(115代)・桃園天皇(116代)・後桜町天皇(117代)・後桃園天皇(118代)の四朝にわたって仕え、官位従一位右大臣となった。父は右大臣三条実顕。母は権大納言三条公充の娘。妻は彦根藩井伊直定の娘。子に右大臣三条実起、左近衛佐武者小路実純、娘に右大臣大炊御門家孝室がいる。号は後誠心院。
享保20年(1735年)に叙爵。以降、三条家の当主として速いスピードで昇進し、寛延3年(1750年)に従三位に達し公卿に列する。権中納言権大納言踏歌節会外弁を経て、明和7年(1770年)に正二位内大臣安永元年(1772年)には従一位となる。安永8年(1779年)には右大臣となるもすぐに辞職する。天明元年(1781年)に薨去。享年49。
==関連項目==

* 三条家



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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