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三条実長[さんじょう さねなが]
三条 実長(さんじょう さねなが)は平安時代末期の公卿。権大納言、正二位、皇后宮大夫。参議右兵衛督三条公行の長男。母は播磨権守源顕親の娘。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 保延2年(1136年)1月6日、叙爵〔無品媜子内親王当年御給。〕。永治元年(1141年)12月26日、従五位上に昇叙。康治3年(1144年)1月24日、右兵衛佐に任ぜられる。天養2年(1145年)1月4日、正五位下に昇叙〔朝観行幸時の賞。皇后宮御給。〕。久安2年(1146年)1月22日、備中権介を兼ねる。同月26日、左少将に任ぜられる。久安3年(1147年)1月5日、従四位下に昇叙。久安5年(1149年)10月11日、従四位上に昇叙〔日吉行幸の賞。上卿三条公教の譲り。〕。久安6年(1150年)1月20日、正四位下に昇叙〔朝観行幸の賞。暲子内親王給。〕。仁平元年(1151年)2月2日、備前権介を兼ねる。同年7月24日、右近衛権少将に任ぜられる。仁平4年(1154年)8月18日、左少将に転任。久寿3年(1156年)4月6日、右近衛権中将に転任。 保元元年(1156年)9月13日、蔵人頭に補される。同年11月28日、参議に任ぜられる。右中将は元の如し。保元2年(1157年)1月24日、讃岐権守を兼ねる。同年10月22日、従三位に叙される。保元3年(1158年)11月26日、正三位に昇叙。永暦元(1160年)年1月21日、権中納言に任ぜられる。3月2日、勅授帯剣を許される。永暦2年(1161年)8月17日、中宮権大夫を兼ねる。同年9月13日、中納言に転正。中宮権大夫は元の如し。応保2年(1162年)2月5日、権大夫を止める。同月19日、中宮権大夫に改めて任ぜられる。同月23日、従二位に叙される。同年7月28日、祖父実行の喪に服す。9月13日、復任。長寛2年(1164年)閏10月23日、権大納言に任ぜられる。11月25日、中宮大夫に転任。永万2年(1166年)7月15日、権大納言を辞退。中宮大夫は元の如し。 仁安2年(1167年)閏7月19日、本座を許される。仁安3年(1168年)1月6日、正二位に昇叙。承安2年(1172年)2月10日、皇后宮大夫に転任。承安3年(1173年)8月15日、皇后宮大夫を止める〔皇后宮崩御による。〕。寿永元年(1182年)10月11日、所労により出家。同年12月27日、薨去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三条実長」の詳細全文を読む
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