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三枝守全 三枝 守全(さいぐさ もりあきら、慶長15年(1610年) - 延宝8年5月26日(1680年6月22日))は、江戸時代の旗本。父は三枝守昌、母は諏訪頼水の娘〔「寛政重脩諸家譜. 第6輯」 による。本文は1004頁、コマ番号は511頁。〕。初名は守勝、通称は源八郎、内匠。官位は従五位下、能登守、隠岐守。法名は全心〔。妻は小出三尹の娘、その間に三枝守輝、他には小出守里(京都町奉行〔元禄期における伏見・堺両奉行の一時廃止と幕府の遠国奉行政策 村田路人 大阪大学大学院文学研究科紀要. 43 P.1-P.25 〕)、三枝守仍(もりなお)、娘(一柳直増室)、他女子2人がいる〔。 ==家系== 家系は三枝守国をその祖とする三枝氏〔「寛政重脩諸家譜. 第6輯」 による。本文は1000頁、コマ番号は509頁。]〕。三枝氏は三枝連(さいぐさのむらじ)の流れで、三枝連は天津彦根命の末裔であるという〔。「三枝連」の由来は顕宗天皇の治世の時、諸氏を集めて祝宴が開かれた際、庭に三茎の草があり、これを天皇に献上して三枝連を賜ったという逸話に由来するという〔。しかし、この説に寛政重脩諸家譜は疑いを示している〔。
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