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三条 公輝(さんじょう きんてる、明治15年(1882年)12月2日 - 昭和20年(1945年)11月10日)は、明治から昭和戦前期にかけての華族、貴族院議員。公爵。東京帝国大学卒業。 三条実美の三男。母は鷹司輔煕の九女・治子。1892年(明治25年)に分家、男爵に叙爵。1924年(大正13年)、甥・三条実憲(1902-1924)の急逝を受けて三条家の家督を相続し、公爵となる。宮内省皇后宮主事、皇太后宮事務官を歴任し、昭和8年に掌典長に就任し、のち御所歌長を兼ねた。貴族議員としては、1924年(大正13年)6月より、1945年(昭和20年)64歳で没するまでその籍にあった。 == 子女 == 妻は多栄子(毛利元敏女) 後妻は静子(正親町実正女)。 * 三条実春(1913-1990)嫡男、陸軍中尉。公爵。 * 博子(男爵徳川義寛妻) * 光子(竹田宮恒徳王妃) * 修子(男爵浅野忠充妻) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三条公輝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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