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三橋 美智也(みはし みちや)、本名・北沢 美智也〔デジタル版 日本人名大辞典+Plus「三橋美智也 」(コトバンク)〕、1930年11月10日 - 1996年1月8日)は日本の演歌歌手。北海道上磯郡上磯町峨朗(現・北斗市)生まれ、函館市育ち。愛称「ミッチー」。1997年、1998年、2001年に、未発表の作品を集めたCDが発売された。今では、プレミアなCDとなっている。 1997年6月4日発売。秘蔵未発表名曲集。 1.ああ恋無情 2.酔いどれギター 3.はなうた横丁 4.別れ泪と言うものか 5.夜のデッキで 6.愛怒一路 7.海の愛情 8.さよなら背番号16 9.どうすりゃいいんだ 10.吉野懐古 11.子守追分 12.からすとごんべえ 13.未練 14.泪のフラメンコ 15.浮かれ三味線 16.火の山の唄 17.濡れて歩けば 18.みれん山唄※ 1998年発売。続、秘蔵未発表名曲集 1.女の恋は流れ星※ 2.ああ東尋坊 3.想い出水車 4.消えてしまった蝶々さん 5.みんな見えなくなる峠※ 6.泣き虫船頭さん 7.いま一度のタンゴ 8.お前を待ってる 9.さよならの花※ 10.これさ馬子衆 11.砂丘 12.サラリーマン進軍歌 13.ジャンケンポイ 14.新四季の唄※ 15.ふるさとマーチ※ 16.男と男※ 17.無銭旅行 18.離郷 続々秘蔵名曲集 1.くめよ涙を※ 2.嘘だろな 3.ウンダ、ウンダ 4.ジェット機の男 5.炭鉱どんと節 6.ないしょの話※ 7.どんと節 8.ルンペン節 9.船頭小唄 10.波止場がらす 11.小雨なぜ泣く※ 12.ネオンギター※ 13.月のひとり船 14.夜空に鳴る鐘 15.かたみの時計 16.夕月の丘 ※ステレオ録音 == 来歴・生涯 == === 歌謡界の重鎮 === 民謡で鍛えられた伸びと艶のある美声で、春日八郎・三波春夫・村田英雄らとともに歌謡界をリードしてきた。ヒット曲を連発し、全盛期には「三橋で明けて三橋で暮れる」と言われるほどの人気を得ていた。また、キングレコードの全盛期を春日・若原一郎と共に築き上げ、「キング三羽カラス」「三人男」とも呼ばれた。また「日本各地に残る民謡こそ日本人の歌の故郷」という想いから1976年、自ら家元になって「民謡三橋流」を創設。門下に細川たかし・石川さゆりらがいる。 父は三橋が4歳の誕生日前日に落盤事故で亡くなり、翌年に母が再婚。この夫婦の間には3人の弟と1人の妹が出来る。一方の三橋は5歳の頃から舞台を踏み、民謡歌手だった母に幼い頃から鍛えられ、小学校の入学と同時に叔父から追分を習い、9歳の時に全道民謡コンクールで優勝。その後は巡業に参加などしつつ家計を支え、12歳の時にコロムビアで民謡を吹き込むなど、もともと民謡歌手として活動する。小学校を卒業する頃には津軽三味線を習い初め、白川軍八郎一座とともに修行を続ける。19歳の時、「歌だけではなく違う世界も知りたい」と三味線一本を持って上京。横浜市の綱島温泉で民謡教室のアルバイトをする傍ら、ボイラーマンの仕事もしていた。人一倍真面目に働き、その勤勉さを風呂屋の主人に見込まれ、明治大学付属中野高等学校定時制に通うことを許された。高校では普通の生徒よりもずっと年上で、彼らから「おとっさん」と呼ばれ親しまれた。1953年、弟子の吹き込みに行った際、レッスンの声がディレクターの耳にとまり、キングレコードの専属歌手として契約。翌1954年に「酒の苦さよ」でデビュー。1955年に「おんな船頭唄」が大ヒットし、たちまち人気歌手の仲間入りを果たす。その後も昭和30年代には「あの娘が泣いてる波止場」「リンゴ村から」「哀愁列車」「母恋吹雪」「おさらば東京」「夕焼けとんび」「古城」「達者でナ」「星屑の町」などの歌謡曲、「北海盆唄」「花笠音頭」「ソーラン節」「津軽じょんから節」「炭鉱節」「黒田節」などの民謡がミリオンセラーとなり、1983年には日本の歌手として史上初めてレコードのプレス枚数が1億枚を突破する記録を打ち立てた。生涯のレコード売上は1億600万枚であるが、オリコン発足前のため、売上枚数などの正確な記録は残っていない。そのため、オリコン記録では、CDの売り上げが日本一のアーティストは、総売り上げが約8148万枚のB'zである(2015年現在)。 生真面目な性格で知られ、自身のショーで歌っているときに歌詞を間違ったら「もう一度」とやり直すほどであった。1988年には親交が深かった村田英雄・春日八郎と三人の会を結成し、演歌界の活性化を図った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三橋美智也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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