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三沢海軍航空隊[みさわかいぐんこうくうたい]
三沢海軍航空隊(みさわかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。陸上攻撃機の実戦部隊として開かれ、太平洋戦争末期を除く期間に最前線で爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。1942年(昭和17年)11月1日には第七〇五海軍航空隊(だい705かいぐんこうくうたい)と改称している。1944年(昭和19年)9月1日に予科練教育部隊として二代三沢空が設置されている。
==沿革== 陸上攻撃機部隊の増強を図るために、マル4計画に盛り込まれた4個航空隊の一つとして木更津飛行場で開隊した。中国戦線での実戦経験者を核とした他の陸攻部隊よりも新兵率が高く、開隊は太平洋戦争の開戦に間に合わなかった。南方攻略が一段落した昭和17年夏からの第二段侵攻作戦の中核部隊と目され、ミッドウェー島占領の暁には、同島に進出してハワイ方面への先遣部隊となる予定であった。しかしミッドウェー作戦の失敗とガダルカナル島の奪還作戦により、ラバウル航空隊の中核となった。部隊名にある三沢飛行場はもちろんのこと、昭和17年7月のサイパン島進出より昭和19年10月の解散まで、一度も本土に帰還することなく激戦に従事した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三沢海軍航空隊」の詳細全文を読む
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