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三濱洋 俊明(みはまなだ としあき、1919年3月10日-1978年3月15日)は、三重県南牟婁郡御浜町出身で、高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は榎本 俊明(えのもと としあき)。最高位は西前頭20枚目(1948年5月場所)。現役時代の体格は173cm、83kg。得意手は左四つ、吊り出し、襷反りなど。 == 来歴・人物 == 小学校卒業後は父の仕事を手伝っていたが、17歳の時に力士を志して上京し、高砂部屋へ入門。 1937年1月場所で初土俵を踏み、次の5月場所では新序で3勝無敗と、好成績を残した。そのため、翌年1月場所では序ノ口を飛び越し、序二段に付け出された。 小柄な力士であったが、腰が良く、柔軟さが持ち味であった。左四つからの吊りや投げを得意とした他、反り技も偶に見せた。 当初の四股名は、故郷・御浜町に因んだ「三濱山」。「御浜山」ではなく、敢えて「三濱山」としたのは、験を担いだためだという(その後、「大洋」を経て「三濱洋」へ改名している)。 十両までは比較的順調に出世したが、短期間ながら徴兵された事も災いしてか、新入幕を果たしたのは1948年5月場所とやや遅れた。 だが、同場所では1勝10敗と惨敗を喫して、1場所で十両へ逆戻り。結局、幕内はこの1場所しか務まらなかった。 現役晩年は休場がちとなり、十両14枚目まで番付を落として1949年5月場所後に廃業。 廃業後は、土建業や漁業などに従事し、その後は地元で相撲の指導者となった。 1978年3月15日、病のため59歳で逝去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三濱洋俊明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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