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三浦光村 : ウィキペディア日本語版
三浦光村[みうら みつむら]

三浦 光村(みうら みつむら)は鎌倉時代中期の相模国の武将。鎌倉幕府御家人三浦義村の四男。三浦泰村の同母弟。
== 経歴 ==

=== 公暁門弟・将軍側近 ===
幼名駒若丸。幼少時代は僧侶にすべく鶴岡八幡宮に預けられ、公暁の門弟となるが、後に実家である三浦氏に呼び戻されたようである。『吾妻鏡』での光村の初見は建保6年(1218年)9月、将軍御所での和歌会の最中に鶴岡八幡宮で乱闘騒ぎを起こして出仕を停止させられた記事である。この段階では幼名の「駒若丸」を名乗っており、この後に元服して光村と改名した。「光」の字は烏帽子親子関係を結んだ名越光時から偏諱を受けたものとされている〔鈴木、2007年、P.231。名越氏とは、姉(または妹)が光時の弟・時長に嫁いでいて縁戚関係にあった。〕。
貞応2年(1223年)には北条重時結城朝広とともに新将軍・三寅(後の九条頼経)の近習に任じられる。以後、20年に渡って頼経の側近として仕えた。寛喜3年(1231年)に左衛門尉に任じられて検非違使を兼ね、以後嘉禎3年(1237年)に壱岐仁治2年(1241年)には能登守となり、寛元2年(1244年)に九条頼経が息子頼嗣に将軍職を譲ると、光村はこれを補佐する意図を以って鎌倉幕府評定衆の一人に加えられた。光村は武芸に秀でると共に管弦に優れ、藤原孝時から伝授を受けた琵琶の名手であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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