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三浦 広光(みうら ひろみつ、1981年9月22日 - )は、日本の男性総合格闘家、プロボクサー。福岡県浮羽郡浮羽町(現・うきは市)出身。SAMURAI SWORD/リングス所属。 == 来歴 == 3歳年上の姉の影響で小学1年から柔道を始める(弟も柔道選手)。西日本短大附属高校では県大会で2年連続2位。大東文化大学では正力杯-81kg級ベスト8となった。 2001年11月25日、第5回全日本コンバットレスリングオープン選手権大会-85kg級(9人参加)に出場し、優勝を果たした。 2004年3月、大学卒業後に総合格闘技の練習を開始し、6月6日には第30回全日本サンボ選手権大会90kg級に出場し、優勝を果たした。 体重100kg以上の選手が集まるパンクラスMEGATONで練習していた。三浦をプロデビューさせるべく、同チームは2004年7月、派生チームとしてMEGATON-TOKINを設立した。その9日後の7月25日、パンクラスにてデビュー戦を行い、ジョー・ダースにギブアップ負け。 2005年2月12日、DEEP初参戦となったDEEP 18で藤沼弘秀と対戦し、判定勝ち。 2005年7月6日、HERO'Sのオープニングファイトで竹内出と対戦し、マウントパンチでTKO負け。 2005年11月26日、HERO'Sリトアニア大会でケスタティス・スミルノヴァスと対戦し、TKO負け。 2006年4月30日、キックボクシング興行R.I.S.E.に初参戦し、トモヤにフック連打でKO勝ち。 2006年9月24日、R.I.S.E. MIGHTY EIGHTY TOURNAMENT '06に出場。1回戦で伊賀弘治に右フックでKO勝ちするものの、準決勝でマグナム酒井に右ローキックでKO負け。 2006年10月9日、HERO'Sのオープニングファイトで滝川リョウと対戦し、マウントパンチでTKO勝ち。 2007年5月12日、WEC初参戦となるWEC 27でジェイソン・"メイヘム"・ミラーと対戦し、判定負け。 2007年8月5日、WEC 29でフェルナンド・ゴンザレスと対戦し、パウンドでギブアップ勝ち。WEC初勝利。 2008年3月26日、WEC 33でブラス・アヴェナと対戦し、KO勝ち。 2008年6月8日、M-1ムエタイチャレンジ「Legend of Elbows 2008 〜MIND〜」でラックトゥッコン・ウィラサクレックとムエタイルールで対戦予定であったが、WECのタイトルマッチが決定したため欠場となった〔M-1ムエタイ 三浦広光、WECタイトル挑戦決定のため欠場 BoutReview 2008年6月2日〕。 2008年8月3日、WEC 35でカーロス・コンディットのWEC世界ウェルター級王座に挑戦し、膝蹴りでダウンを奪われパウンドでTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。 2009年1月25日、WEC 38でエドガー・ガルシアと対戦し、パウンドでKO負けを喫した。 WEC 38に参戦する前(2009年1月頃)から帝拳ジムに通っていたが、WEC 38終了後から同ジムでボクシングの練習のみを行うようになった〔ゴング格闘技 2010年2月号 pp. 145 - 147〕。同ジムのトレーナー葛西裕一に手ほどきを受けている〔。 2009年12月8日、プロボクサー新人テスト(クルーザー級)を受け、合格を果たした〔プロボクサーテスト合格発表 日本ボクシングコミッション 公式サイト 2009年12月9日〕。 2010年4月10日、ラスベガスでのイサック・アテンシオ戦でプロボクシングデビュー(ライトヘビー級)し、3-0の判定勝ち〔三浦広光が米国で白星発進 nikkansports.com 2010年4月12日〕。4月22日の2戦目でもナサン・ベッドウェルに3-0の判定勝ち〔総合→ボクサー転向三浦が米でプロ2連勝 nikkansports.com 2010年4月24日〕。 2011年8月6日、後楽園ホールで8回戦77.0Kg契約で松本晋太郎(ヨネクラ)と戦い判定勝ちを収めた。その後8月度の日本ランキングで2009年9月度より新設された以降で初となる日本スーパーミドル級で日本ランキング1位に就いた〔三浦広光「日本ランカーに見合った試合を心掛けます」 帝拳ジム公式モバイルサイト〕。 2012年10月6日、後楽園ホールでOPBF東洋太平洋スーパーミドル王者清田祐三(フラッシュ赤羽)に挑戦したが6RTKOで敗れ王座獲得はならなかった〔清田が三浦を下してV6 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年10月6日 〕。 2015年5月29日、リングス公式サイトにて、リングス所属となることが発表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三浦広光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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