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三浦 謹一郎(みうら きんいちろう、1931年3月25日 - 2009年9月21日)は、日本の生命科学者。株式会社プロテイオス研究所取締役社長兼研究所長。日本ウイルス学会名誉会員、元日本分子生物学会会長、元日本蛋白質科学会会長。元千葉工業大学教授、元学習院大学教授、元放送大学講師、国立遺伝学研究所名誉教授、東京大学名誉教授。 == 経歴 == *1931年3月 東京府に生まれる。 *1953年3月 学習院大学理学部化学科卒業。 *1953年4月 東京大学大学院化学系研究科化学専門課程入学。 *フルブライト・プログラムの研究員としてアメリカ合衆国コロンビア大学に留学。 *1958年3月 東京大学大学院化学系研究科化学専門課程博士課程修了。理学博士(東京大学)。 *1958年4月 京都大学ウイルス研究所助手。 *1958年7月 東京大学理学博士 「リボ核酸の多様性に関する化学的研究」。〔博士論文書誌データベース〕 *1961年4月 東京大学理学部応用微生物研究所助手。 *1963年4月 名古屋大学理学部分子生物学研究施設助教授。 *1969年4月 国立遺伝学研究所教授、分子遺伝部長。 *国立遺伝学研究所研究部長も務める。 *1983年4月 東京大学工学部工業化学科教授。 *電気通信大学電気通信学部電子物性工学科教授併任。 *1991年3月 東京大学を定年退官。東京大学名誉教授。 *1991年4月 学習院大学理学部生命分子科学研究所教授兼生命分子科学研究所長。 *1991年4月1日 日本分子生物学会会長(1993年3月31日まで)。 *1997年4月 学習院大学理学部化学科教授兼生命分子科学研究所長。 *2001年3月 学習院大学を定年退職。 *2001年4月 千葉工業大学総合研究所教授。日本蛋白質科学会会長。株式会社プロテイオス研究所取締役社長兼研究所長。 *2008年3月 千葉工業大学を退職。 *2009年9月 虚血性心疾患のため東京都内の病院で死去。叙従四位。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三浦謹一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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