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三淵 嘉子(みぶち よしこ 1914年(大正3年)1月30日 - 1984年(昭和59年)11月13日)は、日本初の女性弁護士の一人であり、初の女性判事及び家庭裁判所長。 ==略歴== 1914年、シンガポールにて出生。三淵忠彦(初代最高裁判所長官)の養女となる。 1938年、高等文官試験司法科試験に合格し、明治大学同窓の中田正子、久米愛と共に日本初の女性弁護士となる。 1940年、弁護士を開業。 1947年、裁判官採用願いを司法省に提出。裁判官には採用されず、司法省民事部等に勤務。 1949年、石渡満子と共に、初の女性裁判官に就任。 1952年、名古屋地方裁判所で初の女性判事となる。 1972年、新潟家庭裁判所で初の女性家庭裁判所長となり、浦和家裁、横浜家裁の各所長を務める。 1979年、退官し、弁護士となる。 1984年、死去。70歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三淵嘉子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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