翻訳と辞書
Words near each other
・ 三瀬インターチェンジ
・ 三瀬トンネル
・ 三瀬トンネル有料道路
・ 三瀬ルベール牧場 どんぐり村
・ 三瀬中学校
・ 三瀬功太
・ 三瀬周三
・ 三瀬城
・ 三瀬小学校
・ 三瀬峠
三瀬幸司
・ 三瀬村
・ 三瀬村 (佐賀県)
・ 三瀬村 (高知県)
・ 三瀬海水浴場
・ 三瀬滋子
・ 三瀬真美子
・ 三瀬諸淵
・ 三瀬谷ダム
・ 三瀬谷村


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

三瀬幸司 : ウィキペディア日本語版
三瀬幸司[みせ こうじ]

三瀬 幸司(みせ こうじ、1976年3月11日 - )は、日本の元プロ野球選手投手)。
== 来歴 ==

=== プロ入り前 ===
香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校岡山理科大学卒業。
観音寺第一高校入学時は外野手であったが、当時の監督に勧められ投手に転向。岡山理科大学は二部リーグで、本人曰く「うちの高校のほうが強いんじゃないかというぐらいのチーム」だった。当時は全くの無名選手だったため、高校は一般入試で、大学は野球とは関係ない指定校推薦でそれぞれ入学している〔東京中日スポーツ・2011年5月12日付 3面「旬撃 -竜戦士を直撃-」〕。
大学卒業後は野球をやめるつもりで就職活動をしていたが、父親の知り合いの紹介で社会人野球NTT四国のテストを受け高評価を得る。しかしこの年のNTT四国は既に新人の枠が一杯だったため、まだ枠に余裕のあったNTT中国を紹介され、1998年NTT西日本に入社〔。翌1999年に同チームが「NTT西日本中国クラブ」としてクラブチーム化されて以後も活動を続けた。当時NTT中国の本拠地は広島市民球場の隣であったが、広島東洋カープのスカウトが見に行った試合はいつも打たれたため、スカウトの目に留まることは無かった。
、この年限りでの休部が決まっていたNTT西日本中国クラブのエースとして、都市対抗野球大会中国地区第1代表を獲得。1回戦(対大阪ガス戦)に先発し敗戦投手になったが、キレのある変化球に数球団のスカウトが注目した。しかし当時、プロ野球のスカウトの間では「三瀬はNTT西日本に移籍する」と言われていたため、プロからの誘いは(後述のダイエーを除き)来ることはなかったという〔。
本人は「休部を機に社会人野球をやめて草野球でもやろう」というつもりだったというが、本人の意向を知った福岡ダイエーホークスから「辞める前に試しにテストを受けてはどうか」との誘いがあり、入団テストで当時の投手コーチだった尾花高夫らから高評価を受ける〔。同年秋のドラフト会議で同球団から7巡目指名を受けて入団。28歳でのプロ入りだった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三瀬幸司」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.