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三猿(さんざる、さんえん)とは3匹の猿が両手でそれぞれ目、耳、口を隠している意匠である。「見ざる、聞かざる、言わざる」という叡智の3つの秘密を示しているとされる。 == 三猿の起源と日本における三猿 == 日本語の語呂合わせから日本が三猿発祥の地と思われがちだが、3匹の猿というモチーフ自体は古代エジプトやアンコールワットにも見られるもので、シルクロードを伝い中国を経由して日本に伝わったという見解がある〔『世界の三猿-その源流をたずねて』 人文書院 2009年〕 。 『論語』に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ)という一節がある。一説に、こうした「不見・不聞・不言」の教えが8世紀ごろ、天台宗系の留学僧を経由して日本に伝わったという。三猿のモチーフは、庚申信仰の伝播とともに近世以降広く用いられるようになり、主尊の青面金剛を描く際、その足元に三猿が添えられた例が多い。また庚申塔にも多く三猿が彫り込まれている。天台宗は比叡山の鎮護社の日吉大社と密接な関係にあり、日吉大社を本尊とし、猿を神使とする山王信仰が、庚申信仰と習合した結果ともいう。 南方熊楠によれば青面金剛と猿の関係はインドに起源があり、青面金剛はインドのラーマーヤナ説話の主人公・ラーマの本体たるヴィシュヌ神の転化であり、三猿はラーマに仕えたハヌマーンの変形という〔 南方熊楠『十二支考』「猴に関する伝説」 (青空文庫 ) 〕〔 中村禎里『日本動物民俗誌』 海鳴社、1987年。 9-14ページ 〕。また庚申の「申=さる」である、庚申信仰で人の悪事を監視して天帝に報告する三匹の「三尸虫」を封じるため、悪事を見聞きせず、話さない三匹の猿を出したなどの説もある。江戸中期に出版された『和漢三才図会』の「庚申」の項を見ると三猿の挿絵が添えられている〔 寺島良安 『倭漢三才図会』(漢文による復刻版)、中外出版社、1901(明治34)年。[] 〕。 File:Koshinscroll.jpg|庚申信仰と三猿 その① 青面金剛像と三猿。 ファイル:Koshin pillar.jpg|その② 石像の青面金剛と三猿。千葉県習志野市。 ファイル:Koushin kuyou tou1.PNG|その③ 庚申塔に見られる三猿。神奈川県藤沢市。 File:Sculpture of three wise monkeys in Hiyoshi Shrine in Yanagawa, Fukuoka.JPG|山王信仰と三猿 福岡県柳川市の日吉神社境内。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三猿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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