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三田村甚三郎[みたむら じんざぶろう]
三田村 甚三郎(みたむら じんざぶろう、1867年11月7日(慶応3年10月12日〔衆議院『第五十八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1930年、23頁。〕) - 1934年(昭和9年)2月13日)は、福井県武生市(現越前市)出身の日本の実業家、政治家。 == 略歴 == 越前市越前府中(現越前市あおば町)でも有数の打刃物問屋に長男として出生。福井県立福井中学校(現福井県立藤島高等学校)を経て、東京専門学校(現早稲田大学)に入学し政治学を学ぶ。 福井新聞、有限責任信用組合武生金庫(現武生信用金庫)、武岡軽便鉄道株式会社(福井鉄道南越線)を設立。 福井県会議員を歴任後、衆議院議員に二期当選(1898-1902、1930-32)18年間無報酬で武生町長を務める。武生町の近代化に一生を捧げたことから「近代武生の父」と呼ばれた。 なお、姉川の戦いの舞台となった小谷城の支城三田村城は三田村家ゆかりの地である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三田村甚三郎」の詳細全文を読む
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