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三田義正[みた よしまさ] 三田 義正(みた よしまさ、1861年5月30日(文久元年4月21日) - 1935年(昭和10年)12月31日)は、日本の政治家、実業家。三田商店の創業者。貴族院議員。岩手高等学校創設者。現在の盛岡市菜園・大通り商店街の礎を築いたことで知られる。 弟の三田俊次郎は、盛岡実科高等女学校(現・岩手女子高等学校)、私立岩手病院(現・岩手医科大学)の創設者である。 == 人物 == 陸奥国岩手郡仁王村赤川(現岩手県盛岡市本町通三丁目)にて盛岡藩士三田義魏(よしたか)の長男として生まれた。仙台の宮城英語学校を卒業し,東京の学農社で西洋の農学を学んだ。明治14年(1881年)、岩手県庁に勤めるも2年で退職。明治19年(1886年)に加賀野村(現・盛岡市加賀野)議会議員に当選、岩手県会議員、盛岡市会議員を歴任するも、友人選挙支援に失敗し、家産の大部分を失う。しかし、母キヨの支援により火薬販売等の権利を獲得し、明治27年(1894年)に三田火薬販売所(現・株式会社三田商店)を設立し、次第に業務を拡大していく。 大正15年(1926年)には岩手中学(現・岩手高等学校)を創設。昭和2年(1927年)には南部土地株式会社を設立し、それまで南部氏が所有していた菜園地区を埋め立て現在の盛岡市菜園、大通り商店街の基礎をきずいた。現在「映画館通り」と呼ばれるものは、昭和10年(1935年)に義正の設立した株式会社中央映画劇場がはじまりである。 1922年(大正11年)1月、貴族院多額納税者議員に選出され1925年(大正14年)9月まで在任〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』222頁。〕。政友会、のち政友本党系の院内会派である交友倶楽部に所属した〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三田義正」の詳細全文を読む
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