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三遊亭歌橘(さんゆうてい かきつ)は、落語家の名跡。当代は3代目。 *初代 三遊亭歌橘 - 2代目三遊亭円歌の門下。本名は地引進〔春風亭一柳、「噺の咄の話のはなし」、晩聲社、1980年、10ページ。〕。前座名、歌寿美。1955年に二ツ目昇進し歌橘と改名、後に廃業〔。2010年6月死去。 *2代目 三遊亭歌橘 - 現在の三遊亭小歌。二ツ目時代の名前。本名は土田明紘。 *3代目については以下に記載。 ---- 3代目三遊亭 歌橘(さんゆうてい かきつ、1976年6月24日 - )は社団法人落語協会所属の落語家、真打。本名は恩田龍也。出囃子は「八木節」。所属プロダクションは株式会社三遊亭圓歌事務所を経て、2011年1月1日より、株式会社共同テレビジョン(マネージメント室)に移籍する。足利市観光大使第1号。愛称 : カッキー師匠 かきつっち 落語界の美肌王子。趣味は釣り、プロレス観戦、映画鑑賞、料理、掃除。既婚者。 == 経歴 == 栃木県足利市八幡町出身。出身地の足利市八幡町の同町内に書家の相田みつをが在住。祖父が友人付き合いをしていた関係で生前の相田みつをに可愛がられた(相田みつを美術館の記録)。祖母が民謡歌手の早坂光枝門下で、物心付く頃から民謡と三味線の指導を受ける。幼少期に両親が離婚。それぞれ新しい家庭を持ったため、以降、祖父母が両親代わりとなる。足利市立山辺中学校を経て、1994年9月、葛生高等学校(現:青藍泰斗高等学校)在学中に3代目三遊亭圓歌に弟子入り、卒業後内弟子修行開始。三遊亭歌いちの名前で前座。1999年5月1日、二ツ目昇進。三遊亭あし歌と改名。2008年9月21日、真打昇進と同時に3代目「三遊亭歌橘」を襲名。栃木県初の落語家、真打。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三遊亭歌橘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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