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上下定分の理(じょうげていぶんのり、じょうげていぶんのことわり)は、江戸時代初期に朱子学の権威確立に尽力した林羅山が打ち出した一学説。幕藩体制の根幹をなす身分制度を正当化するための理論であり〔白取(2005)p.88-89〕、宇宙の原理〔羅山の宇宙観を示すものに、 イエズス会の日本人修道士イルマン・ハビアンとのあいだでおこなわれた「地球論争」がある。ここでは、地動説と地球球体説を主張するハビアンに対し、羅山は頑としてそれを受け入れず、地球方形説と天動説を主張し、羅山がハビアンを論破するかたちで終わっている。〕すなわち「理」は、人間関係では上下の身分関係として現れるという考え〔御厨(1995)pp.188-189〕。 == 概要 == はじめ京都の建仁寺で儒学と仏教を学んだ林羅山(林道春)は、慶長9年(1604年)、22歳のとき藤原惺窩のもとで宋学(朱子学)を学び、慶長12年(1607年)以降は、惺窩の推挙で江戸幕府に仕えた〔石田(2004)〕〔羅山は僧侶の資格で幕府に仕えながら、仏教や神仏習合論を批判した。〕。羅山は、師の惺窩が朱子学以外の儒学に対しても寛容な姿勢をとったのとは異なり、陸象山や王陽明の学派を排除して朱子学の権威確立のため尽力した〔〔建仁寺で臨済禅を学んだ羅山のみならず師の藤原惺窩も相国寺の僧であった。このことは、近世初期の知識人が、仏教では得がたい世俗的な倫理を儒学に求め始めていたことを示している。高橋ほか(2003)p.42〕。 その羅山が打ち出したのが「上下定分の理」である。羅山は寛永6年(1629年)に著した自著『春鑑抄』〔身分体制の理論的正当性を説いた著。羅山の理気二元論理解を記した『三徳抄』とならび、羅山の朱子学理論を記した代表的な著作である。〕において、「天は尊く地は卑し、天は高く地は低し。上下差別あるごとく、人にも又君は尊く、臣は卑しきぞ」と記している。 羅山によれば、天が上にあり、地が下にあることは時代の転変いかんによらない絶対不変の天理なのであり、それは君臣、父子、夫婦、兄弟などあらゆる人間社会の上下関係〔儒教では、父子、君臣、夫婦(男女)、長幼(兄弟)、朋友の5つの人間関係を五倫といい、五常の徳(仁、義、礼、智、信)の完成と広がりによって保たれると説いた。〕をも貫くものである。そして、士農工商の身分秩序もまた、天理によるものであるから不変不滅なものである、と述べる〔。朱子学の理気説にあっては、「理」とは本来万物のなかに存在し、万物を存在たらしめる根源・原理である〔高橋ほか(2003)p.42〕。したがって、それは人間社会のなかにもあって、人間関係を秩序づける原理・法則として機能する、と羅山はとらえたのである〔。 そして羅山は、上述の『春鑑抄』において、国をよく治めるためには「序」(秩序・序列)を保つため、「敬」(つつしみあざむかない心)と、その具体的な現れである「礼」(礼儀・法度)が重要視されるべき、と説き、とくに身分に対して持敬(心のなかに「敬」を持ち続けること)を強調した(存心持敬)。羅山は、宇宙の原理である理をきわめれば、内に敬、外には礼として現れると説き、敬と礼が人倫の基本であり、理と心の一体化を説いたのである(居敬窮理)〔〔つねに言動をつつしみ、礼儀をただすべしというこの思想には、武士階級に指導者として自己を律すべしとの自覚をうながした側面があることも指摘されている。高橋ほか(2003)p.42〕。 林羅山は、江戸幕府の徳川家康・秀忠・家光・家綱の将軍4代に仕え、その侍講として儒書や史書を講じて幕政にも深くかかわった。その活躍は、『寛永諸家系図伝』『本朝通鑑』などの伝記・歴史の編纂、「武家諸法度」「諸士法度」などの撰定、外交文書の起草、朝鮮通信使の応接など多岐にわたっている〔 松岡正剛の千夜千冊『徳川イデオロギー』ヘルマン・オームス 〕〔徳川家康自身は、羅山よりも崇伝や天台宗の僧侶天海を政治的助言者として重用し、儒学者を特別視したわけではなかった。〕。また、かれの努力によって朱子学は幕府の「正学」〔それに対し、朱子学以外の学派は「異学」と称された。〕とされ、かれの子孫は林家として代々朱子学を講ずる家としてつづいた〔〔羅山の私塾には忍岡聖堂が付設され、元禄年間に湯島に移転した(湯島聖堂)。寛政以降は、林家の私塾であった聖堂学問所が林家の手を離れ、官立の昌平坂学問所となった。〕。 なお、ベルギー出身の歴史学者ヘルマン・オームスは、その著書のなかで、「上下定分の理」において語られる「名分」こそが徳川幕藩体制の原理と合致した「徳川イデオロギー」と称されるべきイデオロギーなのであり、その最も重要な部分を用意したのは、むしろ朱子学者であると同時に垂加神道の創始者としても知られる山崎闇斎であったと指摘している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上下定分の理」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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