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上原元秀 : ウィキペディア日本語版
上原元秀[うえはら もとひで]

上原 元秀(うえはら もとひで)は、室町時代中期から後期にかけての武将細川京兆家の家宰。
== 出自 ==
丹波上原氏は元々は信濃国に根拠を持ち、神官として諏訪大社の大祝も務めた諏訪氏の支族で、諏訪敦家の子・五郎敦成が同国上原に移住して上原姓を称したことに始まる〔太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第1巻』(角川書店、1934年)3099頁参照。〕。
上原敦成の子・上原九郎成政(景正)が建久4年(1193年丹波国に移住し、何鹿郡物部、並びに西保地頭職を拝領し土着〔『諏訪史料叢書』内、「神氏系図」〕。またその際に成政は諏訪明神の分霊を祀って氏神とし、領内の各所に諏訪神社を創設し祀らせた〔京都府綾部市 西坂諏訪神社内「諏訪神社由緒縁起」〕。細川頼之に仕えた上原成基の代には細川家の合議機関である「内衆」に名を連ねるなど台頭を見せた。
度々、書状の上で物部姓を名乗ったが系図の上では関連性が見いだせないでの物部は地名から取られたものと思われる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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