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上原 敬二(うえはら けいじ、1889年2月5日 - 1981年10月24日)は、日本の造園研究家、林学博士、東京農業大学名誉教授。日本の造園学の創始者として知られる。 == 経歴 == 東京生まれ。1914年(大正3年)東京帝国大学農学部林学科を卒業し同大大学院へ、森林美学・造園学・樹木学・建築学等を専攻。 神社林の研究で林学博士、同年造園学研究のため欧米へ留学し、後にアメリカ合衆国の大都市の公園事情を詳しく分析している。1918年(大正7年)上原造園研究所 設立〔。1923年(大正12年)に起こった関東大震災後発足の帝都復興院に任用されるが、7ヶ月で辞職。 帝都復興事業のための造園技術者業成を目指し、震災の翌年に東京高等造園学校を渋谷・常磐松の東京農業大学のキャンパスの一角を借りて設立し、自ら校長となる。上原はこの学校で造園を学問的に分析し、大系づけ、造園技術をわかりやすく解明した。 1924年(大正13年)以降は東京高等造園学校校長のかたわらで、東京市と横浜市の公園事業の嘱託として、調査計画に関わる。横浜では1926年に、新聞社などをバックに捻出金を集め、公園を使って植木市を開催。 その後、上原の創設した東京高等造園学校は1942年(昭和17年)4月1日東京農大専門部に併合され、専門部の造園科(現・地域環境科学部造園科学科)となった。 1953年(昭和28年)東京農業大学教授に就任〔。 上原の著書の多くは造園系学校・学科の学生の参考書として現在も多く活用されている。また造園の技術者としても、東京帝国大学大学院在学時に本多静六等と明治神宮の造園などの設計もしている。その他、横浜山手の西洋庭園をはじめ、築造した庭園は三百余になるといわれている。 優秀な作庭家の育成に寄与するため日本造園学会、東京農業大学造園学会では、上原敬二賞を設けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上原敬二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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