翻訳と辞書 |
上州電気鉄道[じょうしゅうでんきてつどう] 上州電気鉄道(じょうしゅうでんきてつどう)は、かつて、群馬県内で計画された鉄道会社およびその鉄道路線(未成線)である。 == 歴史 == 1922年(大正11年)12月27日に上州電気軌道発起人中島敬文ほか63名に対し碓氷郡安中町(現・安中市) - 吾妻郡岩島村(現・東吾妻町)間(軌間1,067mm、動力電気)の軌道敷設特許状が下付された〔『鉄道省鉄道統計資料. 大正11年度』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。発起人総代の中島敬文は沿線の碓氷郡板鼻町(現・安中市)の人で他の発起人は高崎市の一人を除いて沿線の人であった。1924年(大正13年)3月11日に路線は道路幅員が狭溢であり併用軌道でなく専用軌道であることから電気軌道から電気鉄道に変更する許可を得て〔「軌道ヲ地方鉄道ニ変更」『官報』1924年3月15日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕、社名を上州電気鉄道に変更することとした。続いて1924年(大正13年)6月7日に碓氷郡板鼻町 - 高崎市間の鉄道免許状下付〔「鉄道免許状下付」『官報』1924年6月11日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕を受け、1924年(大正13年)7月31日に上州電気鉄道株式会社を設立した〔『地方鉄道軌道営業年鑑』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。会社の陣容であるが当初は地元の住人だったものが1926年(大正15年)では社長井上幹造(東京)、高田商会の池田豁二〔高田慎蔵の娘婿〕、若尾鴻太郎〔東京電燈若尾璋八の息子〕、男爵福原俊丸など東京の資本家や長野の上條信〔一時社長に就任『日本全国諸会社役員録. 第35回』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕が役員や大株主として参加している。ところが1925年(大正14年)高田商会の破綻により目論みは崩れていく、総株数5万株のうち22,250株は高田商会関係者の持株でありこの株を引き取り処分した社長らが分割所有し株金の補填をしなかったため、1925年(大正14年)からはじまった工事は賃金不払いにより労働者が会社に押し掛け早くも工事は中止する騒動となった。 1926年(大正15年)5月28日には「指定ノ期限マテニ工事施工認可ヲ為ササルタメ」として吾妻郡岩島村 - 碓氷郡里見村上里見(現・高崎市)間、碓氷郡板鼻町 - 同郡安中町間の免許一部失効〔「鉄道免許一部失効」『官報』1926年5月28日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕、1928年(昭和3年)5月8日に同じく「指定ノ期限マテニ工事施工認可ヲ為ササルタメ」として高崎市 - 碓氷郡豊岡村(現・高崎市)間の鉄道免許失効〔「鉄道免許失効」『官報』1928年5月8日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕と相次いで免許が失効していくことになった。 1930年(昭和5年)になると東京の債権者2人により破産の申立がなされ1931年(昭和6年)3月10日に破産宣告〔「破産宣告」『官報』1931年3月14日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕がされる。このとき会社にある財産は未払込み株金であった。管財人はこの徴収に着手。株主1,058人に対し一株につき40円の払込を請求し、応じないものには強制執行が行われた。例えば里見村では全村400戸で2,000株を保有していたので、不況により支払えず不動産の強制執行されたものもいた。村では救済策として公営質屋を開設することとなったという。 そして1933年(昭和8年)12月13日に碓氷郡豊岡村 - 同郡里見村間が「指定ノ期限マテニ工事竣工ヲセサルタメ」として鉄道免許取消〔「鉄道免許取消」『官報』1933年12月13日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕され上州電気鉄道は姿を消した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上州電気鉄道」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|