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上庸郡[じょうよう-ぐん]
上庸郡(じょうよう-ぐん)は後漢により設置され、隋代に廃された郡。現在の湖北省竹山県一帯に相当する。 ==歴史== 212年(建安20年)、後漢は荆州漢中郡の一部に上庸郡を設置、郡治を上庸県に定め、上庸、武陵、安富、微陽の5県を管轄した。 220年(黄初元年)、魏朝は上庸郡は房陵、西城両郡を統合され新城郡とされている。228年(太和2年)、上庸、武陵、北巫の3県に再び上庸郡を設置したが、その2年後には錫郡に編入されている。237年(景初元年)、魏興郡微陽県及び錫郡上庸、安富両県に上庸郡を設置、嘉平年間に一旦廃止されているが、259年(甘露4年)に再設置された。荆州に属した。 南北朝時代になると宋代では梁州に属し上庸、北巫、富安、微陽、武陵、新安、吉陽の7県を管轄、斉代では上庸、武陵、斉安、北巫、上廉、新豊、新安、吉陽の8県を管轄した。503年(天監2年)、上庸郡は新豊郡と改称されたが、まもなく上庸郡に再改称されている。 隋朝が成立すると598年(開皇18年)に上庸郡は廃止となり房州に編入され、上庸郡の名称は消滅している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上庸郡」の詳細全文を読む
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