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上有知湊(こうずちみなと)とは、長良川沿い岐阜県美濃市にある川湊。 船着場跡の石畳、住吉型川湊灯台(かわみなととうだい)が残る。県の指定文化財(1970年、史跡)。 ==歴史== *1600年 - 金森長近、関ヶ原の戦いの功により、徳川家康から美濃国上有知(こうずち)に領地を受け、飛騨高山藩領となる(約2万石)。 *1601年 - 飛騨-上有知 間を結ぶため、津保街道を整備。関-上有知-口之野-樋ヶ洞-見坂峠-西洞-殿村-津保谷-金山-飛騨街道。 *金森長近、長良川畔の小倉山に小倉山城を築城(現小倉公園)。 *1606年 - 小倉山城の東側に城下町 上有知町 の町割り、ほぼ完成。 *上有知川湊を開設、番船40艘。美濃和紙、荏胡麻、生糸、酒ほかの輸送基地として、上流から運ばれる木材運搬の中継基地として、水運物流の要所として栄える。美濃国四大川湊のひとつ。 *1615年 - 尾張藩領に。 *江戸時代末期 - 住吉神社の献灯を兼ね、住吉灯台(川湊灯台)が建設される。高さ約9m。 *1911年 - 岐阜市内に鉄道が開通、水運交通の要所としての役目を終える。上有知町、美濃町に改名。 *1954年 - 美濃町、周囲の村と合併し美濃市に。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上有知湊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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