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上本 大海(うえもと たいかい、1982年6月1日 - )は、鹿児島県指宿市出身のプロサッカー選手。J2リーグ・V・ファーレン長崎所属。ポジションはディフェンダー(センターバック)。 == 来歴 == 高校時代は鹿児島実業高校サッカー部で活躍。同期の選手に田原豊や萩原達郎、諏訪園一吉らがおり、2年次の1999年度には全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝を果たした。 高校卒業後の2001年にジュビロ磐田に入団。磐田では出場機会に恵まれず、2005年に大分トリニータに期限付き移籍で加入。移籍当初はプレーの不安定な部分が目立ったが、程なく大分にとって欠かせない選手の一人となった。 2006年より大分に完全移籍した。同年10月7日、J1リーグ第26節の川崎フロンターレ戦で、誤って指輪をつけたままピッチに出てきてしまったため、JFAの規則により主審からイエローカードを提示された。 2008年4月29日に行われたJ1リーグFC東京戦で西村雄一主審から「『死ね!』と暴言を吐かれた」と主張。しかしその後JFAが行った聴き取り調査等で「そのような発言は認められなかった」と見解を発表し、上本本人もこれを受け入れた(詳細は西村雄一#「死ね」発言騒動を参照。)。 2009年、大分のJ2降格が決定、それに加えクラブの深刻な経営難が表面化し、 2010年、中盤戦以降FC東京から完全移籍して来た茂庭照幸と共にセンターバックとして定着。J1復帰1年目でのAFCチャンピオンズリーグ進出に貢献した。 2012年よりベガルタ仙台へ完全移籍。2度の大怪我により離脱することになったものの、自身初の優秀選手賞に選出された。2013年にはケガで試合出場は0に終わった。 2014年5月28日、ナビスコカップ第6節のガンバ大阪戦で、後半ロスタイムのみの出場ながらも約1年半ぶりに公式戦復帰を果たすと、8月16日のJ1第20節清水エスパルス戦では、約1年9ヶ月ぶりにJ1リーグ戦出場および公式戦スタメン復帰した。 2015年12月28日、V・ファーレン長崎への完全移籍を発表〔上本大海選手 V・ファーレン長崎へ完全移籍のお知らせ 2015年12月28日 ベガルタ仙台・オフィシャルウェブサイト〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上本大海」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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