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上杉勝周[うえすぎかつあまね]
上杉 勝周(うえすぎ かつちか)は、出羽国米沢新田藩の初代藩主。米沢藩第4代藩主・上杉綱憲の四男。母は於磯(樫田氏)。異母兄は上杉吉憲、吉良義周。同母兄弟姉妹は上杉憲孝、上杉勝延、秋月藩主黒田長貞の正室春姫(瑞耀院)。正室は片桐貞起の娘。子は上杉勝承(長男)、金田正矩(次男)。 == 生涯 == 元禄9年(1696年)9月11日生まれ。享保4年(1719年)、兄の吉憲から1万石を分与されて米沢新田藩を立藩した。米沢新田藩の上藩邸が麻布にあったので「麻布様」と呼ばれた。なお、米沢新田藩の江戸藩邸は宗藩米沢藩の中屋敷の一部を与えられたものである。また、支侯とも呼ばれた。 享保7年(1722年)に兄が死去して幼年の宗憲が家督を継ぐと、その後見役を務めた。享保8年(1723年)に鍛冶橋門番や駿府加番を勤める。延享4年(1747年)7月2日に死去した。法号は墓所は山形県米沢市の林泉寺。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上杉勝周」の詳細全文を読む
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